情報のコーディネーター  第141号
     
           令和3年8月8日発行
           窮すれば通ず。 情報こそ反転の力なり。 コトバで心の壁を破れ。

                      今回の目次
               □  今、近現代史が面白い


  司馬史観に「日本は日露戦争以後、民族的に痴呆化し、狂躁の昭和を迎えた」というの
があります。
 
  日露戦争(明治37年~明治38年 1904~1905 )は調べれば調べる程、薄氷の勝利でした。 
この厳正な事実を、「軍部は国民に知らせず、国民は国民で知ろうともしなかった」と、
司馬遼太郎氏は云います。

  日露戦争後から真珠湾奇襲までの35年間(以後は狂躁の35年という)、つまり司馬さんが
民族的に痴呆化したという時代については、事件や事変の経緯が教科書に時系列で羅列
されているだけです。  

  狂躁の35年は暗くてよく分からないというのが、国民一般の印象ではないかと思われます。

  最近、ネットで東京裁判史観(別名を自虐史観)批判が一部の保守的インテリ層から旺盛
に発信されるようになりましたが、国民がその情報を共有しているかは分かりません。
  

  兎に角、ここに来て近現代史が急に熱くなっているのです。

  狂躁の35年は、学問的には当らず触らずで真相が明らかにされぬまま放置されていた
空白の時代と云えます。

  それがその時代の扉がやっと開かれるに至ったのには、幾つかの理由があります。
一つは、1995年の「ヴェノナ文書」の公開です。

  「ヴェノナ文書」は、フランクリン・ルーズヴェルトの側近にいたコミンテルンのスパイと
ソ連本国との交信記録をアメリカ陸軍が傍受していたものです。

 「ハル・ノート」の原案を作成した財務次官補ホワイトも、コミンテルンのスパイだったの
です。


  これまで太平洋戦争には、幾つかの謎がありました。
まず、アメリカ国民の8割が戦争反対で、ルーズヴェルトも非戦を公約に当選した大統領
です。

  日本の陸海軍は国力の差が大き過ぎるとアメリカとの戦争に反対で、インド洋に進出
してイギリスとインドのシーレーンを封鎖することを考えていたのです。

  それが1939年7月にアメリカが日米通商条約を破棄し、それまで9割をアメリカに依存し
ていた石油とクズ鉄の輸入が止まると、俄かに日米間がキナ臭くなるのです。

  しかし、真珠湾奇襲はアメリカを一気に参戦に転換させるとして殆どが反対でした。
それが、開戦直前になって、山本五十六の真珠湾奇襲作戦が天皇の詔勅を得るのです。


  このような不可解な流れの背後に、コミンテルンとその支部のアメリカ共産党の動きが
あったのです。

  戦後、狂躁の35年に関する研究が空白だったのは、学会の主流が左翼だったからで、
東京裁判史観に疑いの目を向けなかったからです。

  しかし、ソビエト崩壊以後から、アメリカ共産党による反日世論工作という視点が明ら
かになり、太平洋戦争という謎解きの解明が進むことになります。

  コミンテルンは日中戦争を泥沼化させて日本のソ連戦への参戦を防ぎたかったのであり、
その為の一番の戦略は、日米関係を悪化させアメリカに日本を潰させることだったのです。
 

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